2017年8月27日日曜日

No.5【あなたが一生幸せになれない理由+本当の幸せになるには?】(仏教を現代へ)

こんにちは。中村僚です。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


ある読者の方から

「メルマガが途中で切れてしまう」

というメールを頂きました。


「ガラケー」と言われる

スマホではないケータイで受信されている方で、

容量は5000字だとか。


まことに申し訳ございません。

それでは、切れてしまうと思います。

たぶん、生きる意味や仏教に関するメルマガでは

一番長いと思います。


ただなぜかというと、それくらい必要だからです。


私も短い方が楽でいいのですが、

仏教は底知れず深いので、

これまで本か何かで簡潔に説明されても、

よく分からなかったのではないでしょうか。


それを自分の人生にとってどんな意味があるのか

よく理解するには、これくらいの量は最低必要か、

まだまだ足りないくらいだと思います。


仏教の言葉が、

「自分の人生ではどんなことにあたるのか」

詳しくお話しして、


さらに

「最近の科学や心理学などの成果も取り入れて

 現代の人に分かりやすく解説したい」

とか、


さらに

「たまには面白い話もしたほうがいいかな?」

とか

考えていると、

どうしても長くなってしまいますよね。


何となくぼやーっといい話をしておしまい

ではなく、しっかりと体系的に分かるように

お話しして行きますので、必要なことを

必要なだけ書きます。


もし本当の生きる意味を知りたい場合は、

何とかしてついて来て頂けたらと思います。



さて本日は、あなたの輝く未来へ向かって

生きる意味に最短最速で近づく21のステップ、

第5のステップをお届けします。


今回から、話は次の段階に進みます。

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8月27日356号 ステップその5
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■「幸せ」はなぜ手錠からきているの?
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あなたは何の為に生きていますか?


なぜ人間に生まれてきたのでしょう。

生きていれば、

苦しいこともあるでしょう。

悲しいこともあるでしょう。

それなのになぜ生きるのか。


それは、「幸福を求めて」のことでしょう。

これに異論を唱える人はありません。


▼ところが、

「世界に私ほど幸せな者はありません」

という人はなかなかいませんが、

「世界に私ほど不幸な者はありません」

という人はよくいます。


一体どうしたら幸福になれるのでしょうか?



▼そもそも幸福とは何か、

「幸福」という文字から考えてみましょう。

まず先に

▼「福」ですが、示すへんであるものの、

一説によれば、

へんが「衣」をあらわし、着る物。

右下の「田」は、食べる物。

右上の何とも言えない形の所は住む所、

から来ているそうです。


色々な生活水準はありますが、

まず、衣食住がそろわなければ幸福とは

言えないのかもしれません。



▼次に今回の題名にもなっている

「幸」

これは、もともと





こんな形の象形文字だそうです。

(テキストではよく書けませんが…)


何をかたどったものか分かりますか?

そう、「手錠」だそうです。

なぜ手錠が幸せなのでしょうか。

少し危ない人でしょうか(笑)。


そうではありません。


この「幸」という漢字ができた頃、

まだ秦の始皇帝の時代でした。

当時、異民族の侵入を防ぐため、

月からも見える広大な万里の長城を築きました。


その際、万里の長城を末永く守る為

戦争で捕まった人は、

人柱として埋められてしまいました。


ところが、一方、手錠をかけられて、

強制労働させてもらえる人もありました。


そんな人たちが、人柱になった人たちを見て、

「人柱よりも、手錠の方が、まだましだ」

と、幸せを実感したそうです。

それで、手錠が「幸せ」という意味になったのです。

まじめに手錠が幸せなのですから、

意外ですよね。


▼どうしてかと考えてみると、

「幸せ」とは

他人と比較しないとわからない

相対的なものだからのようです。


これを「相対の幸福」といいます。

たとえば、テストで80点とった時、

あなたは嬉しいですか?

80点だけではわからないはずです。


なぜなら

平均点が5点なら、80点はダントツですが、

平均点が99点なら、80点ではビリかもしれません。



アルバイトの時給900円が高いか安いかも、

まわりの人を知らないと、わかりません。


「でも、宝くじ3億円あたったら、それだけで嬉しいでしょ」

確かに、宝くじに当たって友達に自慢したら、みんな驚きます。


ところが1人だけそんなに驚かない人がいて

その人から、

「へーすごいね。でも3億円くらいなら、

僕2回あたったことあるよ」

と言われたらどうでしょう。


「3億円って、けっこう普通なのか?」

と思って、

急に嬉しくなくなってきてしまいます。


▼こんな、相対的な価値判断しかできない私たちが、

本当の幸福になれることがあるのでしょうか。


上を見ればいくらでも上がある。

これで満足したということがありません。


あなたも学校のテストで、他人と比べて何点だったか

気にかけたのではないでしょうか。

どう頑張っても勝てない人っていませんでしたか?


▼こうして、私たちが求めている幸福はきりがないことが、

見えてきます。


求めても求めてもきりがない。

どこまで行っても、これで満足したということがないのです。

しかし、私たちの命は限られています。

100%死なねばなりません。

限りある命で、限りない欲望を満たそうとしても、

悲劇があるだけです。



▼ところが、700年前の日本三大古典の一つ

「歎異抄(たんにしょう)」の中には、

人生の目的を

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摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)
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と教えられています。


「利益(りやく)」とは幸福のこと。

「不捨(ふしゃ)」とは捨てず、かわらない大安心ということ。

「摂取(せっしゅ)」とはおさめとる。

大満足できるということです。


ですから

『摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)』とは、

大安心・大満足の幸福ということです。

今日の言葉では、相対の幸福ではなく、

「絶対の幸福」といわれます。

そんな大満足の幸福に、現在、生きている時になれると、

言われているのです。


▼今回も、本当の生きる目的に向かって、

ますます話が進みましたね。


では

『摂取不捨の利益』とはどんなものか。

どうすれば

『摂取不捨の利益』になれるのか。

つづけてお話ししてゆきたいと思います。


∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
■21ステップ 第5回 終了
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞

本日もお読み頂き、どうもありがとうございました。


今回お話ししましたように、生きる目的は、

「摂取不捨の利益をえた」

「絶対の幸福になった」というような、

完成・ゴールがないと、

目的とは言えません。


あなたはこのまま生きていったら、

何か人生のゴール、完成といえるものはありますか?


そもそも私がついに生きる目的を考え始めたのは、

高校時代、サッカー部で練習している時でした。


千葉県の、家から近い、名もなき県立高校に入ったので、

中学時代にできなかった、

サッカーを楽しもうと、最初は思いました……。


ところが入ってみると、何とそこは、

全国で何度も優勝経験があり、

Jリーガーも多数輩出している千葉県の強豪

「市立船橋(いちふな)」に公式戦で勝つような、

すさまじいサッカー部だったのです(苦笑)


「なんだこの高校は?」

と、そのハイレベルな練習に身を投じながら、

ある日、ふと、

「自分は今、何のためにサッカーの練習を

やってるんだろう?」

と思ったのです。


すぐ

「次の試合のためだ」

と思いました。


「じゃあ次の試合は何のためにするんだ?」

と考えて見ると、

「もっと強くなって、最終的には、

3年生の最後の大会で、少しでもいい成績を

残すためだ」

と思いました。


最後の大きな目標のために、

途中の小さな目標を果たしていくんだ

という単純な人生哲学に、

最初は妙に納得したのです。


ところが、じゃあ

最後の大会でいい成績を残すのは何のため?

という疑問がわいてきました。


考えて見ると、社会に出てからは忙しくて

サッカーをする機会もないだろうし、

……結局分からないのです。


自分は一体何をやっているんだ?

と思いました。


ひょっとしたら、

・友情を育むため?とか、

・体力をつけるため?とか、

・先輩後輩の礼儀を学ぶため?とか、

他の意味があるのかもしれないと思ったのですが、

じゃあそれは何のため?

と聞くと、どれも分からないのです。


サッカーをする目的というテーマでは

行き詰まってしまいました。


▼そこで、方向性を変えて、

高校時代のもっとも大きな時間をしめている

「勉強」は何のため?と考えてみました。


これは

「少しでもいい大学に入るため」

というのは簡単ですが、

それでは何だかよく分からないので、

自分は将来何になりたいのか、

考えてみました。


当時、高校1年の時の

生物の先生がとても面白かったので、

「自分は生物を勉強したいのかな?」

と思ったのですが、

高校2年で習った物理が、

もっと好きだと分かりました。


(しかし、将来もっと好きなものが出てくる

かもしれないので、

一つの方向を定める自信がなくなりました)


ただ、その時点で一番好きなので、

とりあえずは、将来物理学者になるために

今の勉強していると思ったのです。


そこで、これまでと同じように、

物理学者になるのは何の為?

と考えると、

「何かの業績をのこすため」となります。

では、業績を残せば満足かというと、

次の業績が残したくなるはずです。

どこまで行ったらいいのだろう?

きりがないのではないかと

思えてきました。


そう、相対の幸福は、キリがないのです。


視点をかえて、

じゃあ業績をあげるのは何のため?

と考えて見ると、

模範解答的には、世のため人のため。

でも、自分の心を見つめると、

本音は、単に「楽しいから」

じゃないかと思いました。


ところが、高校3年になり、

将来物理学者に本気でなろうと思うと、

「一番良さそうなのは京都大学の理学部、

 その次が、東京大学の理科か……」


それなりに途方もない大学に行かねばならず、

偏差値がまったく足りない私にとっては、

その熾烈な受験戦争を思うと、

ため息が出てしまいます………。


(しかも受験勉強が、物理学者になるために

あまり役立つとは思えません)


それでも自分の手に負えない目標に

爆進する生き物である私は、

地獄の受験勉強を始め、

模試はすべて、100%「E判定」(笑)


追い打ちをかけるような

「志望校を変更しましょう」

とのコメントに、

こんなに苦しいのなら、

そもそも物理学者になることなんて、

全然楽しくないんじゃないかと思いました。


▼このような競争しても、

どこまでもゴールや完成はなく、

実際、キリがないんですが、

そしてさらに新たな疑問が起きてきます。

こんなに頑張って、

業績どころか物理学者にもなれずに

途中で死んでしまったら、どうなってしまうんだ?


「仕方ない」というのは、

答えじゃなくて

単なるあきらめです。


こうして、明日お話しする、

相対の幸福の次の問題点が見えてきます。


全ステップ終了まで、あと16回です。

1日5分、「人類の到達した最深の思想」

にふれることを習慣化してください。


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「生きる意味を教えている人がいるよ」

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それではお体くれぐれも大切になさって下さいませ。


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生きる意味は仏教に学びなさい
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