こんにちは。長南です。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ佳境に入ってきましたので、
今回はかなり生きる意味について
理解を深めて頂けると思います。
さて本日は、あなたの輝く未来へ向かって
生きる意味に最短最速で近づく21のステップ、
第19のステップをお届けします。
今日も重要な内容です。
━━━━━━━━━━━━━━
7月24日448号 ステップその19
━━━━━━━━━━━━━━
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
■たったの15秒。見る人の心をしめつける…
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
▼さてあなたは、最古にして最強と言われる
孫子の兵法をご存じでしょうか。
孫子は紀元前の人ですが、政治も戦争も、
占いとか占星術で決めていた時代に、
非常に合理的な発想をしました。
ドイツのヴィルヘルム二世は、第一次世界大戦に負けて、
「これを読んでいたらドイツは負けなくてすんだのに」
と悔やんだそうです。
アメリカでは、約100年前、
1910年に翻訳された
「ザ・アート オブ ウォー」として有名です。
今日でも、すぐれた戦略・マネジメント書として
多くの有能なビジネスマンたちが読んでいます。
▼その孫子は、
一番いい戦争は何か、について
「百戦百勝、大勝利することではない」
と言っています。
------------------------------
百戦百勝は善の善なるものにあらず。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。
------------------------------
大勝利がいいように思いますが、
負傷者が出ますので、
戦わずして勝つ方がずっとよいのです。
▼では、逆に最低の負け方は何か。
負けると分かっていて戦う。
これほど愚かな戦いはありません。
ところが私たちも、やがて必ず死んでゆかねばなりません。
一日生きたということは、
一日死に勝ったことだとすると、
どんなに頑張っても、結局最後は負けてしまう。
負けるとわかっている戦いを強いられるようなものではないでしょうか。
▼大事故にあって、奇跡的に助かったり、
大病をわずらって奇跡的に治ったりすると、
「助かった!助かった!」と喜びますが、
それは、一時的に助かったということです。
死ななくなったのではありません。
死がのびただけで、やっぱり必ず死んでしまう。
結局助からないのが人間です。
負けるとわかっている戦いをどう長期戦に持ち込むか。
孫子でいう一番愚かな戦いをさせられているようなものです。
▼私たちは、死なないように、死なないように生きてきて、
最後死んでしまうとしたならば、
今まで何の為に助かっていたのでしょうか。
必ず死ぬのになぜ生きるのか。
死に直面した時、この問いに真剣な解答が迫られます。
▼15秒。
かつて、たったの15秒で見る人の心をしめつけ、
涙を誘うちょっとかわったCMがありました。
最初は、楽しそうな笑顔なのに、
終わりには大つぶの涙がこぼれ落ちる……。
いくつもの夢を見てた
いくつもの夢を追いかけた
きっと誰かがかなえてくれる、最後の朝まで信じてた──
中堀由希子(享年21才)
骨髄バンクのドナー登録を求める、
このCMに心を揺さぶられた人も多いと思います。
実際の映像はこちら
↓ ↓ ↓
http://youtu.be/iTouvOAiO98
▼高校卒業後、留学先のニュージーランドで
白血病を宣告された美しい少女が、
21才の若さで亡くなりました。
白血病は、骨髄のガンで、なぜ発病するかわかっておらず、
誰でもなる可能性があります。
どんな夢ある若者も、
突如、未来が奪われるのです。
▼「私に生命を下さい!」
高校でも明るく、みんなの人気者だった彼女は、
骨髄移植しか生き延びる道がないと知るや、
大学にも行かず、
2年間、闘病しながら骨髄バンクのドナー登録を呼びかけ、
日本全国を駆け回ります。
▼そんな中、
「由希子ちゃんにとってさ、生きるって何かな?」
インタビューにこう答えます。
------------------------------
発病するまでの18年間と比べると、
発病してからの2年間は、
本当に生きてきたという感じがするんだけど
その生きるということがまだわからないんだけど、
生きるということは、こんなに大変だったのかと実感した。
生きてて当たり前と思ってて、
自分が死ぬなんてことまじめに考えたことなかったのに
それでやっとわかるって何か、悲しいっていうか、
今まで何を無駄に生きてきたんだろうという感じはします。
------------------------------
死に直面した本人の声はこちら(7:40のところ)
↓ ↓ ↓
http://youtu.be/H7W0CtsgE1c
よく、
「今さえ楽しければいいじゃないか」
と言う人があります。
ではいつまで、今楽しくやっていけますか?
100%やってくる死が解決できなければ、
明るい生き方は絶対できないのです。
▼これを『生死一如(しょうじいちにょ)』といいます。
「一如」とは切り離して考えられない関係を
「一如」といいます。
生と死は反対のことのように思いますが、
「生と死は、切っても切れない、表裏の関係なんだよ」
とお釈迦様は教えられています。
生きることの裏は
死、なのです。
常にふれあっているのです。
だから、本当に楽しい生き方をする為には、
死の解決なくしては、絶対できないのです。
明るい生を送る時には、
死が明るくなければなりません。
未来がくらかったら、今も暗くなってくるんです。
これを、『生死一如』といって、
お経に出ています。
▼たとえるなら、
生は台所、
死は便所です。
どんな小さいうちでも、
台所と便所だけあります。
あんな小さなうちだから、
台所だけで、便所はないんじゃないの?
そんなことはありません。
どんな小さなうちでも、
入れる所と出す所だけはあります。
これがなかったら生きていけません。
それで、
台所と便所は一如なんです。
もし、便所がないとしたら、
あなたは台所で思う存分食べたり飲んだりできますか?
もう台所でひやひやです。
これ、したくなったらどうしたらいいんだ?
いつでも出せるというトイレがなかったら
安心して飲んだり食べたりすることはできません。
台所で満足して食べたり飲んだりてぎるのは、
いつでも出せる便所がある時だけなのです。
▼それと同じように、
明るい生き方をするには
この死の解決をできなかったら絶対できないのです。
できるはずがありません。
いつ死が来て、
この楽しんでいる生をぶちこわすか
わからないのですから。
だから、仏教では、『生死一如』といわれるのです。
死の解決は、そのまま生の解決であり、
生の解決は、死の解決なんです。
生死を解決してこそ、本当に明るい生があるのです。
簡単なビデオも撮ってみましたので、
理解の助けにして頂ければと思います。
生死一如
http://youtu.be/-EbgDORxsuk
▼つまり、生きる目的は幸せですが、
せっかく幸せになっても、一時的で、やがては色あせ、
崩れてもいいかというと、よくありません。
ですから、本当の生きる目的は、変わらない幸せになることです。
そのためには、お金や財産、地位や名誉などの
相対の幸福ではダメで、死の大問題の解決によってのみ、
変わらない、絶対の幸福になれるということです。
その死の大問題の解決とは、
死ななくなることもできませんし、
死の恐怖をなくしたり、
死を受け入れるということでもありません。
果てしない過去から、私たちが
生まれ変わり死に変わり迷いの旅を続けている
根本原因を断ち切って、
この世から未来永遠の幸福の身になるということです。
ですから、死ぬまでに果たさねばならない
本当の生きる目的は、この生死の大問題を解決し、
死によっても崩れない絶対の幸福の身になることだと
仏教では教えられています。
ご理解いただけましたでしょうか?
▼では、どうすれば生死の解決ができるのか。
それについては、通信コースでさらに詳しく
お話しできると思います。
ぜひ参加してみて下さい。
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
■編集後記
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
▼前回、今まで明るみに出ることのなかった
タブーとも言える真実をお話ししましたので、
少し補足の説明をしたいと思います。
このメルマガを始めてから、
沢山メールを頂くのですが、
その中に少なからず、
何を信じていいのか
分からなくなったというものがあります。
おそらく、私が今の仏教界の真実を、
幾つかお話ししてしまった関係で、
そういった思いを持たれたのだと思います。
混乱させるつもりはなかったのですが、
結果として混乱させてしまったようで、
その点は反省しています。
お詫びというわけではないのですが、
何を信じるべきかという
基準をお話しします。
まず、何を信じていいのやら、
という気持ちになった時は
無理に何かを信じようとしないというのが
大切です。
ですから当然、私のことも、信じる必要はありません。
私も最初に仏教を学ぼうと思ったとき、
色々な情報があり過ぎ、
その中には、正反対のことを言っているものもありました。
何でもそうですよね。
例えば食生活についても
「牛乳は健康にいい」と言っている人もあれば、
「牛乳は健康に悪い」と言っている人もあるようなものです。
180度正反対の意見に、結局どっちなんだ!
と思います。
ところが、そうやって仏教を学んでいるうちに、
一つの「判断基準」が見えてきたのです。
それは、経典のお言葉や、
龍樹菩薩、天親菩薩、親鸞聖人といった
高僧による経典の解釈を根拠に
話がなされているか、
それとも、
自分の思いや味わいを話しているのか、
ということです。
なぜなら、
仏教は、お釈迦さまの教えですから、
自分の思いを話していては、
当然ですが、仏教になりません。
仏教に関する限り、
この基準は間違いないのではないでしょうか。
ですから、私も含め、
それが仏教だと言って話している人、
もしくは本などを書いている人がいたら、
根拠を聞いてみればいいのです。
(ただ、最近の仏教の本には、
「これは仏教本来の教えではない」と断って
書いているものも多くなってきました)
たとえば私は、
・大正以降の日本の仏教学会は前提から崩壊している
・本屋さんで売っている仏教書は、ほとんど間違い
・葬式や法事は、本当の仏教ではない
といった、いわば多少過激でありつつ、
私にとっても危険なことを言ってきましたが、
それも、お釈迦さまの経典や
親鸞聖人の著作の内容をもとにしています。
葬式仏教について言えば、
お釈迦さまは、一度も死人を扱われたことはないのですが、
日本では、江戸時代に、幕府の支配政策によって
檀家制度が設けられ、
檀家や門徒の独占的な葬式を行う権利を与えられた
仏教界は、葬式仏教になっていくのです。
その檀家制度の崩壊後も、
葬式や戒名、寺の補修費用の負担を
より高額にして、現在の寺や僧侶は、
未だに檀家制度に依存しようとしているばかりです。
実際、NHKのクローズアップ現代で、
「仏教」「寺」「僧侶」のそれぞれについて
どれだけよいイメージを持っているか
アンケート結果が以下のように出ていました。
------------------------------
「仏教」90%
「寺」 25%
「僧侶」10%
------------------------------
仏教のイメージはいいのに、寺や僧侶のイメージは
極端に悪く、不満を持つ人が多いことが分かります。
僧侶の中には、最後のあがきというか、
本当の仏教が明らかにすることを
妨害をする人まであります。
なぜ、僧侶なのに、
隠れて「本当の仏教の教えを伝える妨害」という
愚かなことをする人がいるのでしょうか。
それはたとえば
・今のまま少しでも葬式や戒名のお布施が欲しい
・本当の教えを学び、伝えるのは、大変なのでさけたい
といった目的であることがほとんどです。
そんな僧侶にとっては、
檀家や門徒さえも、自分の財産、
いわば「金づる」としか見えていないのです。
だから、
本当の仏教を明らかにすると、
いやがらせのメールを送ってくるといった
笑ってしまうような手段を講ずるしかないのです。
それが、私が現在の仏教界や、
沢山の僧侶を見てきて、
分かってきた実態です。
それというのも、確かに、
「乞食と坊主は3日やったらやめられない」
と言われるように、
読経しただけで、「時給50万円?」と思える
すごいお布施が包まれるのですから、
それに依存したくもなると思います。
しかしそんな、
自分は楽してお金を儲けようといった、
因果の道理に反したことは、私たちの選択としては、
まったく不適切なものではないでしょうか。
私たちには、本当の仏教を知る環境もあり、
何とかみんなにも正しく仏教を知ってもらって、
本当の幸せになってもらいたい
という思いもあります。
仏教界は本来、正しい努力によって
自由に学べる環境でなければなりません。
そしてそのような仏教界こそ、
あるべきすがたではないでしょうか。
私も、かつてはあふれる情報や、変な噂に
混乱してしまった経験があります。
一生懸命になるあまり、無意識のうちに、
自分のやっていることに
疑問を持ってしまったこともあります。
そんな私でも、情報の判断基準が分かってきて
仏教を学問的にも学び、
仏教の実践も行い、
今では一つの確信に到達することができました。
その経験はきっと、今の仏教界の、
多額のお布施だけ持って行かれて、
仏教の教えは分からないという
理不尽な状況に苦しめられている、
多くの方のお役に立てると思うのです。
もしそうであるとすれば、
お伝えできることはお伝えしてゆきたいと思います。
もちろん、真実は、時に耳が痛くなる、
聞きたくないものです。
それでも、それが本当のことであれば、
知らなければならないと思います。
本当の生きる意味は何か
どうすれば、本当の仏教を学べるのか、
仏教を根底から破壊している仏教学者や
本当のことを隠す僧侶のせいで、
あなたは、未だに生きる意味が分からず、
人生の苦しみに振り回されているのかもしれません。
努力はしているのに、心から満足できない
ということの多くは、
その当たりに原因を求めることができます。
しかしいま私が、微力ながらも本当の仏教を伝え、
そこに解き明かされた本当の生きる意味を
学べる環境をつくっています。
幸いにも、通信コースを受講され、
本当の仏教に会えたとか、
感謝の気持ちでいっぱいという方から、
沢山のメールやお手紙まで頂きました。
私もそう言って頂けて、とても嬉しく思っています。
------------------------------
天上天下 唯我独尊 という言葉の正しい意味を知れて良かった。
第一回目からとても分かりやすく、
為になるお話が聞けて感謝の気持ちでいっぱいです。
(J.Oさん)
------------------------------
この通信講座をとおして、
真のブッタの教えに出会えたような気がしています。
(K.Aさん)
------------------------------
60歳をこえやっと
落ち着いて仏教と向かい合えるようになりました。
最近は涙もろくなっていけません。ここで勉強できるのは
ありがたい縁のおかげと感謝しています。
(R.Cさん)
------------------------------
すべての人が本当の幸福になれる道を、
私も、ブッダと共に今、学び歩ませていただいております。
現代においても、お釈迦様の教えは、まばゆいばかりのかがやきで、
私の心の中で光を放っています。
本当に有り難いことです。
(H.Kさん)
------------------------------
このように、通信コースは、
これまでのお寺や大学、本屋さんの本では、
学べなかった、本当の仏教を、自分の人生の上で分かりやすく、
・誰でも自分のライフスタイルに合わせて学べる。
・自宅でも、海外でも、どこでも仏教が学べる。
・体系的に、正しく、はやく生きる意味を学べる。
など、いい点が色々あります。
もうすぐ再募集をしようと思いますので、
ご縁がありましたら、ぜひあなたも
本当の生きる目的を知り、
果たして頂きたいと思います。
ただ、募集人数については、
今ではこのメルマガも、約2万人の方に喜んで頂いておりますが、
手が足りない関係で、比較的少なくなりそうです。
まもなく、人数や再募集の日をお知らせできると思います。
全ステップ終了まで、あと2回です。
1日5分、「人類の到達した最深の思想」
にふれることを習慣化してください。
それではまたメールします。
お体くれぐれも大切になさって下さいませ。
----------------------------
┌──┐
│\/│
└──┘
発行:長南瑞生(中村僚)
生きる意味は仏教に学びなさい
日本仏教アソシエーション株式会社
URL : http://japan-buddhism.co.jp
Email : support@all.buddhism.ne.jp
----------------------------
Copyright (c) Mizuki Osanami All rights reserved.
◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます
※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです
◎生きる意味は仏教に学びなさい
のバックナンバーはこちら
⇒ https://archives.mag2.com/0001575646/index.html?l=hbp03fe602
◎生きる意味は仏教に学びなさい
の配信停止はこちら
⇒ https://www.mag2.com/m/0001575646.html?l=hbp03fe602
0 件のコメント:
コメントを投稿